石綿健康被害の歴史
アスベスト健康被害の歴史
日本では1970年から1990年にかけて海外から大量に石綿を輸入し石綿製品が大量に製造され使用されました。海外ではこれより遥かに早く石綿の健康被害が報告されています。
石綿(アスベスト)による健康被害の世界での最初の記録についての具体的な年代や場所を特定するのは難しいですが、アスベストに関連する健康問題が認識され始めたのは20世紀初頭です。
特に、アスベストによる肺の病気である「アスベストーシス」が職業病として認識されたのは、1924年(大正13年)にイギリスで最初の症例が報告されて以降です。
この症例は、アスベスト工場で働いていた女性がアスベストーシスで亡くなったことにより、アスベストの健康リスクが広く知られるようになりました。「アスベストーシス」とは「石綿肺」のことです。
日本に於ける最初の発症例はその81年後の2005年、兵庫県尼崎市にあった機械メーカー「クボタ」の旧神崎工場や周辺でアスベスト(石綿)の健康被害が明らかになった事件です。
大手機械メーカーであるクボタが、アスベストを取り扱う工場で働いていた社員や退職者、請負会社の従業員、地域住民の間で中皮腫など石綿関連疾患の患者が多数発生し、合計79人が死亡、現在療養中の退職者も18人に及ぶことを発表しました。この出来事はクボタ・ショックと呼ばれ、アスベストの危険性が社会に広く認識されるきっかけとなりました。
この出来事はその後訴訟に繋がり2008年訴訟が提起されその後6年に及ぶ裁判の結果、2014年10月9日。最高裁に於いてアスベスト問題が公害として認識され、原告勝訴の判決が下されました。
この判決は、アスベストによる健康被害に対する国の責任を認めるものであり、被害者やその遺族に対する救済の道を広げる重要な一歩となりました。